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佐伯師範インタビュー
2006.07.06
(インタビュー担当:向 和歌奈)

  • (向)
    我が府中清水道場の師範であります、佐伯次男先生へのインタビューを行いました。空手に対する先生の熱い想いを感じて頂ければと思います。
    先生、本日はお忙しい中、ありがとうございます。
    では早速ですが、まずは基本的な質問から始めたいと思います。先生は今年で空手暦は何年になりますか?
  • (佐伯師範)
    もう空手を始めてブランクなしで約40年(1967年から)になります。よくここまで続けることができたと思います。師範代や会員の皆さん、そして継続することを許してくれたカミさんに感謝しています。一人だけでやっていたら、たぶん初段の黒帯を取得した時点が、目標達成で終わりだったでしょう。ところが、日本空手協会という組織の中にいた私は、同僚や後輩の皆さんが次々と黒帯、さらには上の段を目指して頑張るので、必然的に私もその上を狙うしかないわけです。これが延々と今まで続いたことになります。やはり、継続せざるをえない環境がまわりにあったことが大きいと思います。お互い競争し切磋琢磨できる環境があれば継続もできます。
  • (向)
    初段の佐伯先生は、想像が出来ません(笑)
    何においても、やはり「環境」は大切なのですね。
    空手への「強制的」なかかわり方がいつの間にか「自発的」なものに変わったのも、周囲のすばらしい環境のおかげだったわけですね。
    では、空手を実際に始められたきっかけは何ですか?
  • (佐伯師範)
    小さい頃は興味程度の空手でしたが、大学入学直後に師範代クラスの空手の稽古を見学する機会があり、極限まで鍛えあげられた人間技の芸術(当時はそう見えました)に大感動を覚え、さっそく大学の空手部と近くの府中支部清水道場に入門しました。当時は自分が強くなることに憧れのようなものがありましたね。入門後は学業そっちのけで、超人的・芸術的(?)になりたい一心で自分を鍛えました。がむしゃらに毎日稽古に専念しつつ、いくつかの道場を掛け持ちしながら、毎日の生活は100%空手中心の生活でした。当時は少年時代から空手を始めた人は少なかったように思います。私の少年時代は、男兄弟3人の中で毎日が兄弟喧嘩やチャンバラ、草野球、相撲など身体を使う遊びが多かったですから、当時の厳しかった空手の世界へもすんなり入れたのかも知れません。
  • (向)
    先生は十分に超人的です!そして、軽やかな身のこなしぶりはまさに芸術的です。門下生一同、これに反対する者はいないでしょう。「毎日が空手」の生活の日々とは、先生と空手の相性は本当にぴったりだったのですね。
    しかし、今でこそ、インターネットというたいへん便利なものが存在する時代ですが、先生が空手と出会われた頃は、情報が決して充実していたとは言い切れない時代ですよね(すみません!!)。
    そのような限られた情報の中で、先生が空手に対してもたれたイメージとはどのようなものだったのでしょうか?
  • (佐伯師範)
    当時は空手に関する情報は皆無でしたから、空手そのものが「何か神秘的なもの」に見えました。そんな空手に対する憧れと不安感が錯綜していましたので、入門するまでに多少躊躇していた記憶があります。当時は、大学空手部も府中清水道場も今の時代のように簡単に入門させてもらえず、何度か見学に通ってから入門許可を得ました。入門前に自分で判断すべき情報が手元にまったくなかったわけですから、実際に入門してみると厳しい基本稽古の繰り返しばかりが延々と続きましたよ。それでも、入門当時から何の疑いもなく必死でついて行きましたね。当時の空手の世界では、厳しい修業に耐え恐怖心に打ち勝つことが必要だと言われ、いわゆる根性論的なシゴキ稽古の連続でした。当時は先輩と後輩の関係も絶対的なものがあって、それを打破するためには「稽古で強くなるしかない」と真剣に思いました。
  • (向)
    「根性のシゴキ」はウチの道場ではそうそう見られないものですよね。合宿などでは、例外的に経験はしましたが(笑)。しかし、「神秘的なもの」という考えは共感できます。私も空手を始める前、やはりそのようなイメージを持っておりました。今でも、空手が神秘的なスポーツだという思いは変わっておりません。 では、先生が当初の空手に対して持っておられたイメージは、現在も変わらずに生きているのでしょうか。もしお考えが変わられていましたら、どのような変化がありましたか?
  • (佐伯師範)
    過去、長い間にわたって私自身が体験したことの反面教師になりますが、会員の価値観もそれぞれあるので、指導する側と会員とのコミュニケーションが非常に重要だとつくづく思いますね。空手をやりたいという少年会員が増えてきた昨今では、指導者と保護者間での情報の共有・公開は必須条件です。空手の入門の動機は、強くなりたい、健康のために空手をやってみたい、美容・ダイエットのためにやってみたい、礼儀作法をしっかり身に付けさせたい、いじめに強い子になって欲しい、積極的な子供になって欲しいなどさまざまです。これらのニーズに積極的に門戸を開放してあげたいと思います。今でも強くなりたいと思う人には、個人の能力に応じて稽古を厳しくやるべきだと思います。
  • (向)
    先生の指導方法は、道場生ひとりひとりの性格や目的をきちんと把握した上でのもので、少しずつ対応の仕方が異なっています。優しさの中にも厳しさがある指導は、そのためにとても信頼でき、そのために道場生は皆さん、一生懸命稽古に励めるのだと思います。 ところで、40年間の空手生活の中で、空手をやっていたからこそ学べたと感じられることはありますか?
  • (佐伯師範)
    道場という小社会(組織)の中で、稽古をとおして挨拶と礼儀作法を自然に学んだことが大きいですね。挨拶と礼儀作法などは訓練(躾)なしにはできないと思います。 茶帯時代以降では、試合出場や昇段審査を目標にしていましたから、明確な目標に向けてベストコンディションに持っていくための自己管理術を学びましたので、迷うことなく集中できました。この「継続と集中」という経験が仕事の中でもおおいに役立ちました。 道場の中堅の組織幹部となってからは、指導者・先輩・後輩間の上下関係の付き合いの中で、まわりへの気配りや後輩への面倒をこなせるように訓練されました。仕事の中でも、自己中心的(部分最適)ではなく、まわりへの配慮(全体最適)を自然に行なうことができましたね。 指導者となってからは、後進に伝統ある空手道を伝えなければならないという強い使命感が沸いてきて、空手の歴史や諸先生の論文などを常に勉強しながら、日頃の生活を少しでも「空手化」できるように努力しています。これが、仕事の中でも自然体でやれていますね。
  • (向)
    空手の経験が、お仕事や生活自体にもたいへん大きな影響を与えているようですね。公私が見事に切磋琢磨しあっているように見受けられます。では、先生、空手をやっていてよかった!と思う時は、どのような時でしょうか?
  • (佐伯師範)
    一人ではできないことでも会員の皆さんと切磋琢磨できる世界に身をおくことで自分自身を鍛え続けることができたと思います。空手は互いに同じ空間で、指導者と会員が同じひとつのことを目指し、汗を流し合うことによって仲間意識や家族意識も生まれます。いろいろな試合で会員が活躍したり、会員の昇級・昇段審査、就職活動、入学試験に合格した時は、会員の皆さんと一緒にお祝会(反省会も)を開き、そして、次なる目標に向かって一緒にチャレンジしていきます。「お互いに喜びや反省を共有できる」のが家族的でいいですね。長い間、指導者としてやっていると、会員それぞれの素晴らしい素質に影響され、こちらが教わることも多々あります。まさに私のプライベートはすべて空手でリフレッシュできています。空手の指導の中で、一般会員や少年会員から発せられる底知れぬ成長期のパワーとエキスは、私にとって若さと体力と健康を保つ貴重なエネルギー源になっています。また、自己管理能力を高める物理的・精神的資源でもあります。会員の皆さんにはたくさんの可能性があります。私はそれを引き出すお手伝いができる立場にいることが幸せです。
  • (向)
    常に会員のことを第一にお考えの先生は、本当に指導者になるべくして生まれてこられたといっても過言ではありませんね。改めて、先生のすばらしさを確認しているところです。指導者であるがゆえに、先生はいつも稽古では毅然としていらっしゃる印象がとても強いです。そんな先生ですが、やはり指導では苦労されることがあるのでしょうか?
  • (佐伯師範)
    私は昭和23年生れ、地元府中市在住歴38年余、俗に言う「団塊の世代」にあたり、性格は典型的なB型人間とまわりから言われています。学生の頃には「団塊の世代」という言葉はなかったと思いますが、現在と違って、まわりは皆ハングリーな人ばかりだったのは事実です。私もご多分にもれず、生き延びるために何事にも積極的に顔を突っ込み、その多くは挫折し、波乱万丈の数十年を過ごしてきました。空手を指導し始めたころは、空手の厳しさを教わったとおりに「鬼になって」指導していたら、どんどん会員が辞めていくんですね。「せっかく自分の仕事や家庭生活を削って指導してやってあげているのに」との強い気持ちもありました。会員数の激減に焦りもあり、一時は道場を閉鎖することも考えたぐらいでした。ある時、辞めていく会員の世代は、私達が空手を始めた時代と違う考え方や価値観があることに気付いたんです。私達が指導されたことをそのままのスタイルでやっていたのでは誰もついてこないことを悟りましたよ。そこで、空手の門戸を開放するために道場を宣伝するチラシやポスターを作成し、誰にでも空手が親しめ理解し易いように指導方針と稽古内容を徐々に構築してきました。その後、外国人会員や少年会員、女子会員が少しずつ入ってきたため、組織をまとめること、守り維持すること、拡大するためには、指導者と会員が情報を共有する必要性を強く感じました。今でも、指導者側からは、つねに情報を発信することが大切であると思います。
  • (向)
    道場の宣伝をすると、必然的に会員の数は膨らんでいく。ウチの道場は本当に多様な人材がそろっていて、それが強みでもある一方で、難しいところですよね。規律を重んじる空手の世界の最低限のルールをしっかりと受け継ぐ一方で時代の波にも乗り遅れない。正確に道場の「今」の雰囲気や気質を理解することは、神経を使う、大変な作業だと思います。しかし、府中清水道場は先生という軸をもとに、とても不思議なほど、きれいにまとまっています。先生のご努力とカリスマ性の賜物でしょう。 ところで、話の流れがぐっと変わりますが、先生の座右の名は何ですか?
  • (佐伯師範)
    故山本五十六元帥の言葉ですが、「やってみせ 言って聞かせ させてみて 褒めてあげねば人は動かじ」ですね。
  • (向)
    山本五十六元帥とは、なんと渋い!私も好きな人物ですが、では、この山本五十六元帥の言葉には、先生は一体どのような魅力を感じられるのですか?
  • (佐伯師範)
    これは指導者、教育者の座右の銘としても有名な言葉です。指導する側の心構えとして「人は言葉だけでは動かない」であり、教え子を一人でも持った人が、言って聞かせて、またはさせてみて、「それで終わり」、では職務怠慢になります。教わる側も指導者がやってみせ、言って聞かせたことの重みを理解して努力する必要があります。なぜなら、次の世代に伝えていくのは、今この瞬間、指導者の言葉に耳を傾けている本人であり、なによりもゆくゆくは同じ苦労を味わうことになります。「お互い一緒にやることが重要だ」と説いているところがいいですね。
  • (向)
    ふむふむ。先生は、やはり生まれながらにして指導者となる運命だったようですね。弟子を抱えることは、それだけ責任感が必要となり、その人を最後まで世話する覚悟が必要となります。しかし昨今ではそのような姿勢の指導者・教育者が本当に少なくなってきていると感じております。 しかし、指導のことばかりお考えでは、ストレスも多くなるでしょう。そんな重圧(!?)との戦いの中で、ほっとする瞬間はどのような時ですか?(ちなみに、お酒と空手以外で!という防御線をはっておきます!)
  • (佐伯師範)
    本当はお酒と空手が精神的にも一番私らしいと思いますが、それ以外でほっとする瞬間は、海釣りをしている時、スポーツマッサージ治療を受けている時、温泉の湯船に浸かっている時でしょうか。空手以外の趣味が疎かになっている中で、唯一、海釣りは空手の稽古を時々休んで出かけてしまうほどの魅力があります。忙しい空手と仕事を忘れ、海釣りに没頭してしまうので全く違ったリフレッシュとなります。また、通常の稽古の後には、時々スポーツマッサージ治療院に通っています。プロのスポーツマッサージ治療で身体全体のメインテナンスを受けた後は、疲れも消え新しい血が流れてくるようで気分爽快になります。それから、カミさんと一緒に近くの温泉にもよく出かけています。湯船に浸かって身体をリラックスさせている瞬間はたまらないですね。また、最近では料理を創ることにも時間を費やすようになってきました。けっこう集中すると美味しい作品が出来上がるもんです。そして、喜んで食べてもらうとまた創りたくなります。ドライブも好きですからけっこう多趣味ですかね。
  • (向)
    先生の運転される車は快適なのでしょうね。お料理は奥様への恩返しでもあるのでしょうか。先生の多趣味ぶりは、お話をさせて頂くとすぐにわかります。おもしろい話題の引き出しが、実にたくさんありますので、話題がつきませんよね。 最後に、道場生へのメッセージをお願いします。
  • (佐伯師範)
    人間は本来弱い存在ですが、まわりの環境次第では強く育つことができます。体力がついてくれば気力と集中力がついてきます。いろいろな仲間が大勢いて、同じ志を持った仲間と一緒にできる環境がある素晴らしさを大切にして欲しいものです。また、空手をやっている者は何事も全力でやるから素晴らしいのです。中途半端は一番よくありません。稽古も仕事も勉強も遊びも一生懸命やって欲しいものです。一人前に自律(自立も含む)するためには教育、訓練、躾が必要です。個々の人格は努力しなければ完成するものではありません。普段の稽古の中で鍛錬しながら育てていきましょう。人間形成には惜しまず時間とお金をかけるべきです。子供達は社会の大事な種です。時には厳しくしながらも温かく見守りながらジックリ育てましょう。いったん仕事や個人的な事情で離れた会員であっても、一度は一緒に汗を流した仲間・家族なんだから道場を自分の実家だと思って訪ねて来て欲しいと思います。基本的には「去るものは追わず 来る者拒まず」です。いつも大きな声で挨拶しましょう。
  • (向)
    佐伯先生、どうもありがとうございました! 先生の空手への情熱、そしてそれ以上に、先生のもとに集まる会員への熱き思いがとても大きいことが、改めて感じられました。 私が何時間かけてでも府中清水道場に通い続けたいと感じる背景には、このような佐伯先生の、あたたかさが深く強く道場に根づいていることが関係しているのだと思います。

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